(雨) 日記をはじめるにあたって

春寒の候、いかがお過ごしかな。Δじゃ。

Δは「デルタ」と読む。近所の爺さん婆さんには「でる爺」と 呼ばれておるので、そう呼んでいただいても構わん。

今日よりこのような日記を書き始めることにした。 きっかけは、今朝見た懐かしい夢だ。

あれはいつ頃のことじゃったろうか。

かつて、ホームページとかウェブサイトと呼ばれているものがあった。 今とは違い、インターネットはまだディスプレイの前に座って行うもの じゃった。

若者はホームページを「ほめぱげ」と呼び、仲間同士の連帯感を 高めるために使っておった。「みくしい」とか「もばげー」というところでは 一日に何十万もの人間が集まっておった。

ある種の人々は、そのホームページで自分らの主張や、趣味や、作品などを 発表しておった。わしも例外ではなかった。

今ではわし一人になってしまった「べろシティ」も、その頃には たくさんの人間が参加しておった。ホームページでは、わしらの作品を 発表するだけじゃなく、交代で日記をしたためるなどしておった。

ああ、懐かしいものだ。

最初は……最初はそう、ゲームサークルから始まったのじゃ。

柊桂――奴はいまネオ網走に服役中だが――がシナリオを書いて、 『鬼隠しだよ! ドクロちゃん』というノベルゲームを作った。

すでに死んでしまった左京ちゅもその頃には存命で、 絵を描いたりプログラムを作ってくれていた。

わしらは次に『Plumage Cafe』というノベルゲームを作った。 これには処女作より多くの人間にかかわってもらうことになった。 コムギ嬢――当時はまだお嬢さんだったのだ――がこのとき、 「べろシティ」に加わることになった。

そして、その後は……。ゲーム以外のことに手を出し始めた。

かつての縁で、柏唄嬢――当時はまだ(ry――と『Questionnaires』 という音楽CDを作ったのじゃった。今はもうないが、当時はまだ コミケやM3という即売会があって、そこで手売りしておったのだ。

そして、

その作品を最後に、「べろシティ壱世」は幕を閉じることになった。

今思えば、あの頃が一番楽しかったのかもしれん。 当時は何もかも新鮮じゃった。わしらは生気に溢れており、一致団結し、 修羅場といって友人宅で徹夜で作業に打ち込んだものだ。

残念なことに、そういう若さは、もうその後には見られなかった。

それからは「べろシティ弐世」の活動に移る。わし一人で 音楽を作り続け、発表するだけの、退屈な活動期間に移る。 現在の「べろシティ六世」に至るまでの長い過程の中で、 もっとも刺激のない期間だったといえるじゃろう。

ただ、それがどんな活動だったはわしは覚えておらんし、 またそのときの正確な記録はこの地球上、いや太陽系上の どこにも残されておらんだろう。

「弐世」は「壱世」とは違い、ブログという形でホームページに 活動の記録を残さなかったからじゃ。

だからこれから、わしは思い出していこうと思う。

「べろシティ弐世」の頃、わしがいったいどんな活動を しておったか、正確に。

それは2050年の今、「べろシティ六世」をやっているわしにとって、 ちょうどいいボケ防止にもなろう。

P.S. 「べろシティ壱世」の頃のブログ――ホームページ上の日記を ブログという――が見つかったから、これ以前に転載しておく。 記録によれば、2005年の夏から本格的に作品を発表しだしたそうな。